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田舎生まれ上京組の僕が、大学受験期において「田舎住まいであること」が圧倒的なメリットだと思う理由

大学の期末試験の勉強をしているときにふと思ったこと。

「東京に生まれてたら自分の場合、大学の受験勉強してなかったかもな」

↑これ。

高校生が勉強するモチベーションを高める上で、「田舎生まれ田舎住まい」であることは意外に大事なことかもしれない。

東京出身の友人と話しているとよく思うが、東京及びその近郊に住んでいる人は、早くから「東京ってこんなもん」っていう認識が早くから持てている。「東京という名の『夢の国』」幻想を良くも悪くも抱いていない。

一方で田舎暮らしの高校生は(これは自分の経験談であるが)「勉強しさえすれば、夢の国である東京行きのチケットが手に入る!」といった感じで、受験において「まったく新しい世界を目撃できる」という大きなモチベーションを持てる。

「まったくあたらしい世界を目撃できる」という部分が重要な気がしていて。

その理由としては、そもそも大学に行くという行為自体が「モラトリアム期における自分探しの旅」的な側面があると思うからだ。

高校生までは、暮らしの中でなんやかんや規制が多く、絶えず「半径3mの世界」と「ソトの世界」が区別させられざるを得ない。(もちろん高校の頃からパワフルに社会に関わる「強い学生」もいるけど。)

そうした状況の中で、まだ見ぬソトの世界に胸を膨らませている側面がかなりの割合の高校生にあるはずだ。「ソトの世界により勢いを持って、希望を持って飛び込んでいきたい」、そういう願望が結果的に受験生を後押ししているはずだ。

そのことから考えてみても、18歳まで「狭い世界」しか知り得ない「田舎生まれ田舎暮らし」という環境は例え東京に進学するわけではなくとも、受験において大きなモチベーションを生み出している気がしてならない。

 

とにもかくにも自分の場合は、最初から東京に住んでいたら、(生意気)にも世界の底をすでに見た気分になって、大して勉強せんかったかもしれんな(山口弁)と、ふと思った瞬間だ。

※もちろん、自分の信念や夢の実現手段としての「大学受験」であるのが一番だと考えている。しかし、18歳そこらでその辺りを突き詰めて考え得るためには、自己の精進のみならず家族や恩師などの「環境からのサポート」もどこかで重要になるだろうなとも思う。